現在格闘家としてもユーチューバーとしても注目を集める朝倉未来選手。
朝倉未来選手の少年時代はというと、地元で有名なヤンキー(不良)で17歳の時には少年院に入っていた過去があります。
その少年院時代にまつわるエピソードを踏まえて詳しく解説していきます!
もくじ
朝倉未来が少年院に入った理由とは?

朝倉未来選手は17歳の頃暴走族に所属しており、バイクの無免許運転が原因で捕まったことからこれまでのケンカなどの余罪がバレてしまったことで鑑別所に1ヶ月間入ることになりました。
鑑別所ではYouTubeチャンネルでも登場している1つ上の先輩『岡康平さん』と手紙のやりとりをしていたようで、岡さんはその時の手紙を今も大事に取っているようです。
しかし反省を示せば保護観察処分で済むところを、裁判で反省の色を示さなかったために未来選手は少年院行くことなります。
昔からしっかりとした自分の考えを持つ硬派な人間だったことが分かりますね。
そして瀬戸少年院に1年4ヶ月収監されることに。

愛知県瀬戸市にあり国内で3番目に設立された古い少年院で、長期間入ることになった少年のみを対応しています。
収容定員は約170名で少年院生活は階級制となっており2級下からはじまります。
行動訓練や教育・職業訓練などを経て1級上になると退院が近くなるという仕組みになっています。
少年院での生活は私語厳禁で『笑ってはいけない』というルールがあるのに対し、朝倉未来選手は同じ寮生に2度笑かされたことで『単独室』という時計のない小さな部屋に2回も入っています。
まさにガキ使のリアル笑ってはいけない少年院といった感じですね…。
その時のエピソードとして食事・トイレ・睡眠以外の時間をずっと座禅をされられていたようで、独房明けは足の筋肉がかなり落ちて1日で筋肉痛になってたようです。
親や弟と面会する機会も
毎月母親が未来選手と面会する為に、豊橋から1~2時間かけて瀬戸少年院まで来ていました。
時には弟である海選手も来ていたようで、地元で未来選手がいないので逆に海選手がケンカを売られていて『早く助けてよ』と兄の帰りを待ってたみたいです。
面会時間30分の為に来てくれる家族に対し未来選手は「なんか悪いな…」と思うようになり、自由を求めて暴れまわってたつもりが実際は大切な人を悲しませていたことに気づきます。
ちなみに海選手は不良ではなかったのに、訳の分からないトラブルに巻き込まれて大変だったようですね。
地元最強の兄を持ったが為の宿命ですね(笑)
少年院で考えていたことは
窓の外を眺めながら友達のことを考えていたようです。
そして親との面会の時に「岡くんがアウトサイダーに出る」と聞いて、その時は『アウトサイダー』について未来選手は全く知らず。
全国のケンカ自慢が出る格闘技大会と聞き、そこで「俺もめっちゃ出たい!!」と思うようになり格闘家を目指すようになりました。
365日ケンカに明け暮れるリアルクローズぶりだった

朝倉未来は中学時代から年上の先輩相手にケンカを繰り返す日々を送ってきて、地元の先輩も恐れる存在だったようです。
中学3年の時には1つ上の先輩達が朝倉未来を呼び出しケンカに発展しますが、その時は決着が付かなかった模様。
ちなみに当時の状況は朝倉未来チャンネルでも語られています。
その後16歳になった高校1年の時にとある連中から3対3のケンカの申し出があり、仲間を連れて現場に向かうと50人ほどいたことから伝説の『50対2』のケンカをすることになりました。
中学時代偉そうで先輩に嫌われていた
中学時代の未来選手はというと、同級生にあまり仲の良い友達がいなく1人でいるようなタイプだったようです。
当時から考えたが少し大人びていたかもしれませんね。
そして未来選手は中学に入ってから先輩に対して全く敬語を使わなかった為に、不良の先輩たちから相当嫌われていたそうです。
それが原因で小競り合いとなり、未来選手が中学2年の時に岡先輩が10人ほど引き連れて未来選手がいる教室へと行きトイレで謝らそうとしたが、全く謝らないうえに全員相手してやると言ったことでその時は収束したとのこと。
かなり気合入っててヤバいですね(震え声)
喧嘩道を突き進んだ結果、路上の伝説に。
態度の大きい未来選手を押さえつけようと先輩たちがケンカをしかけるも未来選手がどんどん倒していき、そこから他校の連中も目を付けてケンカを仕掛けられるもケンカに勝ち続け『路上の伝説』に。
高校時代には暴走族とケンカ。50対2の壮絶な状況に
ケンカ無敗の連勝街道を突っ走っていた未来選手ですが、高校に入ってから暴走族から呼び出されることに。
当初3対3でのケンカの約束だったが、保険の為に10人ほどを引き連れて現場に向かうと相手は50人ほどいるというとんでもない状況になり、それに恐れた仲間が逃げてしまい最終的に50対2になったようです…。
しかし未来選手は死ぬ気で戦いましたが、案の定袋叩きにされてしまい相当な怪我を負うことになりました。
この騒動をキッカケに未来選手は「絶対にやりかえしてやろう」と強く思い、『暴走族の奴に1対1で戦うにはどうしたらいいのか』と考えた末に、違う暴走族に入りタイマンで完全に復讐をしたとのことです。
最終的にその復讐劇が相手側にとって気味が悪く恐れられるようになり、相手から「もうやめよう…」といってきたらしいです。
相当怖かったでしょうね(笑)
少年院出所後の朝倉未来はこうなった

アウトサイダーに出場することを目標に、仕事の合間を縫って『禅道会豊橋道場』で本格的に格闘技の練習をはじめました。
そしてアウトサイダーに出場をしてからは連戦連勝を積み重ねていき2階級でチャンピオンに。
その後韓国のROAD FC、そしてDEEPのプロのリングに上がります。
現在では日本最大の格闘技団体『RIZIN』の看板選手ですよね!
地元で有名なケンカ師から日本を代表する総合格闘家に…。
これは1本の映画になってもおかしくない人生ですよね!
実際に朝倉未来チャンネルでは映画化の可能性について触れている動画があったので、もしかすると今後発表される可能性は高いかも。

朝倉未来選手の実力は?
若い時にケンカに明け暮れていたことからケンカのようなアグレッシブなファイトスタイルかと思いきや、冷静沈着でしっかりと距離を保ちながら、戦略的に隙を狙って戦うカウンター主体のストライカー。

少年時代に空手と相撲に取り組んでいたことから体幹がしっかりとしていてテイクダウンをほとんど許すことがありません。
ちなみにカウンターの打ち込み方は、ジ・アウトサイダー創設者の前田日明さん仕込みとのこと。
対戦相手をよく研究し自分より上手い人から技術を盗むようにしており、ヤンキーの過去とは裏腹にとてもクレバーなファイターです。
未来選手は「リング上で死んでもいい」と言っていることから、勝利への執念と覚悟をすごく感じますね。
今では孤立した少年に夢を与える存在になる

最近ではRIZINの企画で少年院に尋問されている動画が話題となりました。
なりたい自分に実際になった朝倉未来選手は、少年達の夢を呼び戻して「叶うと思います」と語りかけてたところが印象的でした。
未来選手は少年院にいた時に格闘家になると周囲に宣言したけど、大半に「ムリだ」と言われ続けたことに負けず自分の信念を貫き通したことで夢を掴んでいます。
そんなまっすぐな気持ちを少年に伝えることで、少なからず良い影響を少年たちに与えたことに間違いありません。
朝倉未来が少年院に入った理由は?路上の伝説が格闘家になるまで まとめ
いかがだったでしょうか!
今回は朝倉未来選手の少年院時代にまつわるエピソードをまとめました。
今後は本やアパレル販売の展開もされていくようなので、ますます目が離せませんね。
おそらく今後に朝倉未来選手の半生を元に描いたドラマ、もしくは映画化がされてもおかしくはないです!
2020年も朝倉未来選手、そして弟の海選手に注目していきましょう!
それでは!!